スペシャルインタビュー「誰かの光」

 

・それぞれの正義がぶつかる世の中で、ひとりひとりの勇気に希望を見た

・光は影を生むけれど、影が追いつけない疾走感を目指した

・アーティスト自身の表現を、色濃く映像にも反映させたい

〈それぞれの正義がぶつかる世の中で、ひとりひとりの勇気に希望を見た〉

ヨシケン:『誰かの光』は来月発売の11枚目のニューアルバムに収録する1曲で、先行シングルみたいな感じでリリースしました。ミュージックビデオ(MV)をYouTubeで公開したので、みんなもう何回も見てくれているんじゃないかな。

 

スタッフ:先行してリリースするだけのパンチ力がある楽曲ですね。MVも好評です。

私は既に製作途中のアルバムの曲を聴かせてもらっているのですが、『誰かの光』がアルバムのテーマになる曲ではないですよね?この曲はどういった経緯で出来上がったんでしょうか?

 

ヨシケン:そうだね。含んでいるメッセージは多いけれど、アルバムのテーマというわけではない。

本当は2年ぐらい前、コロナ禍の頭ぐらいにアルバムを作ろうって話もあったんだけど、その時はこの曲は無かった。

コロナの始まりの頃って、やっぱりみんなSNSとかで自分の考えを発言するじゃない?人それぞれ、自分の立場で思うことが違うから正義で正義を打ち消し合うみたいなことがあったよね。

 

例えば、我々のように音楽の世界にいると「何で音楽だけがそんなに悪者にされるんだ」みたいな事を言う人も出てくる。

でもそうじゃない所からしてみたら「いやいやクラスターが起きてるんだから悪者じゃん」という見方もある。飲食店関係は、お店を閉めて欲しいとか、時間を制限して欲しいみたいなことを言われたりしてて、彼らには彼らの不満があるでしょう。

みんな言ってることはその人の正義なんだけど、正義で正義を打ち消し合うようなことがあちこちに見受けられたんだよね。

それを見ていて、俺はしばらく発言できない時期があった。

自分のSNSに繋がっている人やファンであるとか、周りの人もいろんな立場の人がいるので、安直に発言しちゃいけないって感じたの。だけど、自分達なりに今できる音楽活動をやったりしてる中で、具体的に言葉には出来ないんだけど、いろんなことを思い始めるわけだよね。

今世界が傷つけ合ったりしてるのは、きっとみんなそれぞれの正義がぶつかっているんだろう、ってことがまずひとつ。

 

それでいて、この時代においてね、誰もがヒーローだなとも思った。

最初の頃は、コロナウィルスのことが解明されていなくて、電車に乗ったら感染るかもしれない、道ですれ違っても感染るかもしれないぐらいの事も言われてたじゃん?そんな事を言われてた中でね、世のお父さんお母さんは、子供を育てたり家族を養うために働きに行かなきゃいけない。

例えば会社の社長さんは、倒産するかもしれないけど、給料も払わなきゃいけない。ショップで働いてる人は、来月うちの店あるのかなと思いながらも、お客さんに笑顔で接しなきゃいけないし、下手したら給料が出てない状態でも、ちゃんとした仕事をしなきゃいけない。恐怖の中でも家のドアを開けて、外に出て行ってる人達はみんなヒーローだなと思った。

ひとりひとりの勇気みたいなものが誰かの光になるんだなっていう事を思った。でもその時点では誰かの光って言葉は、自分の中には浮かんでなかったんだ。

 

スタッフ:思考はあったけれど、言葉はまだ見つかっていなかったんですね。それが見つかったのはいつ頃だったんでしょう?

 

ヨシケン:去年(2021年)の1月27日に新宿ReNYのワンマンライブをやったじゃん?あの時のMCで俺がいろいろ喋った中で、どうやら使ったらしいんだよ。

そのライブに来ていた後輩ミュージシャンが、ヨシケンさんの「俺が誰かの光になれるように歌っていく」って言葉にぐっと来ました!って言ってくれたの。その時は「えっ!俺そんな言葉使ったっけ?」って感じだったんだけど、でもそれがずっと頭に残っていたから、誰かの光っていう言葉を使って曲を書きたいなと思っていた。

 

スタッフ:ライブのMCで、無意識とはいえ使っていた言葉なんですね。

 

ヨシケン:コロナが始まって1年ぐらい経った頃に、アルバム用に曲作りをしていたんだ。

以前は、俺なりに思うことがあったり、みんなを勇気づける言葉のひとつとして、時には怒りというか苛立ちも発していたんだけど、さっきも言った通り正義と正義がぶつかり合ってる世の中で、なかなか発言できない時期になった。

それを経て、俺なりに発言が出来そうだし、発信したいなって状況にこの時点ではなってたんだよね。

そうしたらいくつか曲を書いていたある日、ポンと『誰かの光』が出来ちゃった!ポンと出来て、うわっ!と思って、すぐにデモを録ったよ。Macでリズムを作ってベースとギターを自分で弾いて、歌った。歌詞もその時に仮でぱっと録音したんだけど、その時の仮詞がほとんどOKになってる。自分で聞いても、なんかちょっと泣けるなぁと思って、事務所にうちの中島さんが来たから、ちょっと聴いて!聴いて!聴いて!ってお願いしたら「これ泣けますね!」みたいな反応をもらえたの。よっしゃ、これはいけるな!と思ったんだけど、別のスタッフに聴かせたら「まぁ、なんか良さげな曲ですね〜」ぐらいで、そこまでの反応じゃなかった。

多分、俺と中島さんは普段いろんなことを話し合ってて、同じ感情モードになっていたからものすごく響いたんだと思う。

そこから、もうちょっと歌詞も音楽も詰めていかなきゃ駄目なんだなってことが分かって、試行錯誤していく中で、この曲はMVを撮れるなってことも、だんだん思ってきたの。結果、MVを最初に撮るってことは、何かリード曲的な意味合いもあるんだなってことで、アルバムに収録される曲の中で、一番最初にこれが世に出たっていう経緯ですね。

 

スタッフ:突然降りてきた曲だったんですね。

確かにいろいろ思考を逡巡させてきたことが歌詞に入っているのは、読んでいると伝わってきます。

 

〈光は影を生むけれど、影が追いつけない疾走感を目指した〉

スタッフ:でもその一方で、10代後半ぐらいの、荒ぶることすら正義である時期が、歌詞の世界に並行して存在しているっていうのがすごく面白いなと思っています。

 

ヨシケン:歌詞についてはいつも、歌の主人公はヨシケンではありません、俺によく似た誰かですよ、って言ってるのね。

だけど、ライブ中心の活動だと、その中で伝わる曲・伝わる世界観で音楽を届けていくと、俺とは違う人間なんだけどかなり近い所にやっぱりいる。

ところが、今回はコロナの影響で活動をあまりしてなかったが故に、本当に俺に似ているけど、俺とは全然違うところにいる人で歌詞を書こうかなっていう感じだった。俺は人の親になったことはないけれど、子供のために働く元バンドマンの歌になった。

あの歌の世界に生きてる人と俺とは確かに全然違うんだけど、でもやっぱり不思議なことにかぶる部分あるんだよね。音楽を生業にしている俺は世間的に見たら特殊な存在。

MVの中の主人公は清掃関係の仕事をしているけど、その主人公とロックンローラー・ヨシケンは、内面は別に変わらないのかもしれない。違うものにしたのに同一性を知るっていう不思議な現象が、確かに起こっているのかもしれない。

 

スタッフ:そうですね。確実に違う人間なんですが、端々に同一性はあります。

これまでストリートやライブの要素があってファンとの距離が近い曲は、かなりヨシケン濃度が高く作られていましたが、そうじゃない曲の中でヨシケンという人間そのものがいる割合が高い方だと思います。

10代の若い立場と人の親になった立場、両方の目線や人生が含まれていて、どこの部分がその人に刺さるかは、聞く人の本人の年齢や人生経験で全く変わってくると思います。

その分、誰にでも刺さる可能性があることも凄く感じましたね。

 

ヨシケン:誰にでも刺さる可能性については、今回心がけていることのひとつだったりするよ。

『誰かの光』は、子供のために家族のために必死に働く男を歌っている曲なんだけれど、『The foolish week end』というアルバムのテーマ曲では、いわゆる不倫っていうか、失楽園的な恋に落ちていく男と女の歌を歌ってる。

その曲の設定に共感してくれる人は少ないと思うんだけど、サビだけを普通の若いカップルが聞いてもキュンと来るよね、って話にレコーディングをしている時になったんだよね。

俺は別にそういう大人の恋を推奨して書いてるわけでは無いけれど、歌の中の夢って大事なことだなと思うのね。現代の東京とか関東とかで、遅刻しそうで走っていたら曲がり角で女の子とぶつかって、ごめんなさいって謝ったところからキュンとなって恋が始まる、みたいな劇的なことって起こらないよね。今日は家族以外誰にも会わないからメイクしないでマスクだけ、みたいな割り切り方を感じるんだよ。

逆に地方都市の人の方が、日々の出会いに対してスタンバイしている印象がある。学生や若い人だけの話じゃなくて、例えば子供を育てているお母さんが、父母会かなんかで子供の友達の旦那さんから「○○さんっていつもお綺麗ですね」みたいな事をポロッと言われたとする。別にそこから恋が生まれるわけじゃないんだよ。でもその言葉が、家に帰っても頭の中に残っていて、ちょっと胸がキュンとしてしまう位の事は、世の中にはいくつもあると思うんだよね。

 

最近俺は、そういうことを感じさせてくれるものの中に、エンターテインメントがいなきゃいけないと思うんだよ。

その歌を聞いてことで、日々の中で何かキュンとする時間のようなものを感じられる楽曲でありたいなっていうのが今回のテーマですね。

『The foolish week end』はそういうテーマをしっかり持っている曲になった。その一方で『誰かの光』はそのテーマに対しては難しい歌かなとも思う。自分のことも大変なのに、誰かの光になるなんてどういうことだ、って部分なんだけど、きっといろんなスタンスで伝わると思うんだよね。

俺も16歳の時があって、今の年齢になって、これまでの人生で感じた事を入れてるからね。それは伝わって欲しいなと思う。

 

スタッフ:「お前もいつか平凡なオヤジになってしまうけど」という歌詞が2番に出てきます。

音楽を聞く側の人間、ミュージシャンやアーティストみたいにクリエイティブを生業にしている人間ではない側は、やっぱり自分は平凡なんだって思う部分は誰しもあると思います。そこを改めて指摘されることによって、自分の状態を再確認するのと同時に、この後の歌詞の「涙拭け立ち上げれ 誰かの光になれ」で、肯定される体験が印象に残りました。

日々の事を、ルーティーンかもしれないけど、それでもいいんじゃない?って言われてる感じがあります。

 

ヨシケン:正義が正義を潰しあっている世の中だけど、全肯定したい気持ちはあるよね。

みんなそれぞれの立場があっていろいろ言ってるけど、お互い頑張りましょうよって。

 

スタッフ:全肯定をしたかったというのは嬉しいですね。

ヨシケンの曲には、これまでも肯定してくれてる曲や励ましてくれる曲はあるんですが、このタイミングで励まされるっていうのはちょっと違いますね。

 

ヨシケン:コロナの始まりの時期に、憤りを感じたことを歌にした人がいたと思うし、俺も若かったらやったかもしれないけど、今それは出来なかったのよね。それは、さっきも言った通りの理由で。

いよいよコロナが明けるかもしれないという話が出てきた時に、音楽を生業にしている身からすると、今コロナへの憤りを含んだ曲を作っても明けちゃったらどうすんだ?ってことも含め、いろいろ感じたの。だけど『誰かの光』や今回のアルバムは、明けた後でも通用すると思っているんだよね。自分の正義を主張しようとする時ってどうしてもそこしか見なくなるし、誰かを否定することでしか自分を正当化出来ない事もあるのは事実だから。

でもその時期を過ぎて、そろそろみんな、以前意見を戦わせていた側の人間の事もちょっと理解してもいいかなって思ってるんじゃないかな。そこにハマる歌なのかなという気がする。

 

それに加えて、当事者じゃない奴の方が軽く発言出来てしまうのがインターネットやSNSの時代だと思うんだよね。リアルだったら喧嘩に横から入ってきたら「うるせぇお前関係ねぇだろすっこんでろ!」って言われちゃう。

だけど、関係ない奴の方が騒がしい世の中になったじゃない?その喧々諤々した中で、自分なりに一本、筋の通ったものがないと作品が出来ないというのはあるよね。

 

スタッフ:発信するには筋を通したっていう自信がないと、大きな声では叫べないですよね。

キーワードとして「光」という言葉についても伺いたいんですが、光って直進しかしないものですよね。その真っ直ぐさみたいなものがサウンド的にもしっかりあるのを聴いていて感じます。

実際、テンポも速いですよね。細いけれどしっかりパーンと入ってくる光も、間接照明みたいにほわっとした光も、色々なタイプの光が、そういう音としてちりばめられてる感じがしました。

 

ヨシケン:光ってあんなに照らしてくれる明るいものなのに、絶対に影を生んじゃうのよ。どうしても光がある所に影がある。影は絶対追いかけて来るんだよ。

だけど、その影が追いつけない位のスピードで突っ走ったらどうなの?っていうのが、あの曲の疾走感になってる。どれだけ良い事があっても、悪い事は追いかけて来るけれど、それが追いつけない位に主人公であるあなたが涙を拭いて立ち上がって突っ走っていきましょう!って歌だよね。

 

スタッフ:最初に一発録りしたデモの時からあの速さでしたか?

 

ヨシケン:あの速さだったの!その時はなんとなくであの速さにしたわけ。レコーディングする時に、さすがに速いから遅くしたほうがいいんじゃないかって声もメンバーから出たんだけど、やっぱりあの速さじゃないとダメだよねって話になって。

メンバーの皆さん、ちょっと頑張ってくださいってお願いした(笑)。俺がデモで作ってたものをベースに、バンドでジャムセッションした中で、ゲストギタリストを1人入れようって決まったので、田中雄二に弾いてもらったのもサウンド的に速さの要素のひとつかもしれない。

 

スタッフ:確かに近年珍しいテンポの速さかもしれないですね。MVお披露目の時に「テンポ速い」ってコメントもあった気がします。

 

ヨシケン:この位突っ走ってもいいでしょう?悲しみが追いつけないぐらい突っ走るしかない。

 

スタッフ:名言出ましたね!

 

 

〈アーティスト自身の表現を、色濃く映像にも反映させたい〉

スタッフ:MVも年末に公開されていて、以前からVanilla Sky Recordsをご存知の方には懐かしい人の姿もありますね。曲の前後も含めて、あの物語になったのは、どういったところから繋がってあのようになったんですか?

 

ヨシケン:もう最初から。MV作るぞって思った瞬間から「主人公を演じるのは勝詩だな」って思ってたし、あの物語だった。

だけど、勝詩とてやっぱりインディーズのライブハウス界では名を馳せている、今や立派なシンガーソングライターですよ。

その彼が、他のアーティストの、元レーベルの代表のMVとはいえ、演者で出てくれるかどうかは分からなかった。一応、駄目元で言ってみようかと思って電話をしたんです。勝詩本人は良くても、お子さんも出るわけだから、ご家族の方達が反対したら実現しない事なんだけど、OKをもらえて、撮影することになった。

ちょうどデルタ株が蔓延してる時期に撮影だったので、誰かが大阪に行って撮影するのはあまり現実的ではないので、大阪の映像クリエイターを紹介してもらって、オンラインミーティングで、こういう絵が欲しいっていうのを全部伝えて撮ってもらったんだよ。

勝詩ありきでストーリーや絵が浮かんでいたことも、実際に出演してくれたことも、すごく自然な流れだったのがMVに反映されている気がするね。

勝詩は以前VSRにいて、いろんな気持ちもあったと思うし、俺と勝詩の間に気持ちのすれ違いもおそらくあったはず。彼は大阪に帰って活動する選択をしたけれど、リモフェスも含め一緒にライブをやったりすることでまた距離が近づくことは出来たんだろうね。

 

スタッフ:実際、今こうやって作品でコラボするのって、すごいことですよ。

 

ヨシケン:これってさ、新日本プロレスから出て行った長州力がいきなりリングに入ってきて、新日に帰ってきた位のインパクトなわけよ(笑)。あとね、お互いちょっと距離があったラッパーがいきなりコラボした位のインパクトかな(笑)。

呼びかけた俺も、受けた勝詩もいいなと思う。心から感謝してるしね。

 

スタッフ:MVに勝詩が出てきた瞬間に知っている人は驚きますし、MVの中でしっかり役目を果たしてる所に「勝詩やるじゃん!」って謎の上から目線で見ちゃいましたよ。

 

ヨシケン:それに、チビちゃん達が可愛い。ロープの遊具に掴まってシャーッと向こうから来るカット、いいところで目線が来るんだ。絶対使いどころはあそこだよね。勝詩のパートは希望通りに撮ってもらえたし、ヨシケンとThe Jetsの撮影も良かったから、納得いくMVが出来たよ。メンバーみんなかっこよく映ってるので、そこも注目ポイント。

 

スタッフ:メンバーも映像や写真の撮影を何度も経て、The Jetsとして映る事が体に馴染んでますね。あのMVを自社で撮ってるって結構びっくりクオリティですよね。

 

ヨシケン:我々は自社で撮影技術も培ってきたから、気が付けば、MVを自分で監督したり編集したりするスタイルになってる。

 

スタッフ:MVを見たミュージシャンの方や関係者の方から「編集も良かったね」みたいな感想を頂くんですけれど、編集はスタッフがやっていると思われるようで、ヨシケン本人だって伝えると驚かれます。

 

ヨシケン:俺も最初は、映像を人に頼んだりしてたけど、レーベルをやっていると予算的にも表現的にも自分でやれた方がメリットが多いからやり始めて、気がついたらいろんな所から依頼を受けるようにもなった。

でもあんまり人には言わず、アーティスト活動と分けていたんだけど、音楽と映像はセットっていうのが、コロナ禍により固まった。

だったら第一人者になれるなと思って。もちろんもっと凄い人はいるんでしょうけど、でもかなりやれる方だと思うよ。

 

スタッフ:考えたことをすぐに反映できる、正確さと速さに関しては、小さい単位で全てをまかなえるのはメリットが大きいですよね。

 

ヨシケン:リモフェスの時に参加してくれたアーティストに、その人は自分で映像とかをやる人じゃないんだけど、iPhoneで自分で撮ったMVに近いものを見せてもらったのね。アーティスト活動してる人だから、表現として良いんだよ。映像のプロかどうか、カメラが良いとか悪いとか関係なく、良いんだよね。俺は中途半端な映像作家より、本人の意向が色濃いほうが良いんじゃない?と思ったのもあるし、アーティストが自分の表現を諦めなくて済む環境を守りたいって気持ちがあるから、自分が今出来る映像を音楽仲間とかにシェアしたい気持ちで今は溢れている。

 

スタッフ:確かに本人の意思が乗ることは、アーティスト活動においてはメリットが大きいですね。やっぱりMVは、アーティストの世界観が印象付くパワーが強いです。

 

ヨシケン:あのさ、GLAYの初期の曲のMVで電球をいっぱい釣ってるやつあるじゃん?撮影している時にメンバーが遊んでたり他の楽器をやってみたりしているやつ。あれ好きなんだよね。

 

スタッフ:『SOUL LOVE』ですね。栃木県の採石場で撮影してます。ファンの間でも別格のMVです(笑)。

 

ヨシケン:もちろん規模が全然違うんだけど、電球を付ける事で物語が繋がってて、実際に歌や演奏をちゃんと撮ってる所と、本人たちの素顔が両方入ってて、俺の中では星5つ付けるレベルのMVだね。GLAYを例に出したけど、外国のアーティストでもあんな感じのMVはいくつもあって、昔から好きなんだよね。

だから俺もちょっと遊んでる感が出したかったから、俺と久保田さんが足を組んだりとか、メンバー同士で喋ってるシーンを入れてます。

 

スタッフ:オフっぽいけど、アーティスト性を保ったままなのが、上手く出ていますよね。あのバランスは素敵です。

 

ヨシケン:実はMVは、第2弾・第3弾が別の曲で用意されていて、これがまたすごく良いから、次の機会に話したいと思います。アルバムもMVも期待して待っていて欲しいな。

 

 

 

End

 

インタビュアー:gull